助かり方 守り方 命 生命 予防 対策

闘病生活の過酷さ

肺癌 35歳 女性

当時35歳の時、肺ガンに侵されていると診断されました。余命半年と聴いた後は医師からの説明も記憶に無いほど頭が真っ白になってしまいました。

 

私はタバコを吸っていて、健康に悪いと思いながらも止められませんでした。やめたほうがいいよ、と言ってくれる人もいましたが、「タバコ我慢するほうがストレスで体に悪い」と今思えば頭の悪いことを言っていました。

 

宣告を受けて数日はそこまで動転せずに過ごせていました。ですが趣味のドライブで曲がり角の無い一本道を進んでいる時でした。慣れた運転とまっすぐ道で色々考えてしまったんでしょうね。突如死の恐怖が襲ってきて、車の中で恐怖心からおしっこを漏らしてしまったのです。

 

それからは恐怖で電気を消すことすらできなくなり、寝たらこのまま起きられないのではないか?食事をしたらこれが最後の食事になるのではないか?と何をしても死を連想してしまうようになりました。徐々に自分がおかしくなっている、狂っていっていると自分で認識できるのも恐ろしかったです。

 

抗がん剤治療による回復に一縷の望みを持ち、精神的にやや落ち着いたものの、そこに待っていたのは抗がん剤による副作用でした。吐き気やめまい、脱毛などが発症し、辛くて辛くてしかたがありませんでした。最初は脱毛が気になっていたのですが、吐き気などがあまりに辛くてもはやどうでもいい気持ちにまで追い詰められていました。

 

(この後徐々に文は乱れ、抗がん剤の治療の甲斐なく永眠)

 

大腸がん 38歳 男性

最初に癌と言われ、まさかどうして私がという気持ちでした。こんなドラマのような状況が自分に起こることは思ってもいませんでした。医者が「こんな状態で自覚症状が無いなんて」と非常に驚いていたことと、「抗がん剤が体に合えばうまくいけば1〜3年の延命もできるかも知れません。」と完治という言葉がまったく出てこないことから、自分は絶対に助からないんだと悟りました。

 

抗がん剤治療は思った以上に辛く、体験したことのない人に解りやすく説明するなら「インフルエンザ+お酒の飲みすぎで吐き気を催すほど気持ち悪くなった状態」です。これが永遠と続く感じだと思います。私はあまりの苦しさに涙を流し続け、泣き叫びながら、ヨダレを撒き散らし続けました。気持ちの弱っている時には地獄の方がマシなんじゃないか?と思うくらいです。

 

私はもう長く生きられないでしょうが、健康な皆さんはどうか体を大切に人生を歩んでください。

 

(奥さんの報告によると、最後は安らかに眠ったそうです。癌告知後1年と2ヵ月後永眠)

 

乳がん 49歳 女性

 

がんを告知されてからまもなく、眠れない日が続き、この先どうなるのだろう、あとどれくらい生きられるのだろう、24時間そのことしか考えられませんでした。息が詰まっていく苦しさと恐怖から、体の震えが止まらないのです。突発的に叫ぶことが多くなり、クッションに頭を突っ込んでは何度も悲鳴のような声を上げました。いつのまにか胸をかきむしってしまうクセができ、胸の辺りは引っかき傷でいつも血だらけになりました。不思議なことに痛みで少し安心できる部分があるのです。

 

死んでしまうのではないかと感情をぶつけたときいつも「大丈夫、死なないから」と夫は励ましてくれました。私は荒れました。「何で医者でもないあんたにそんなことがわかる!!?簡単に言うな」と怒鳴り散らしました。夫は悲しそうな笑顔を見せていました。

 

私が落ち着くことができたのが、夫が私に対して「がんばれ」と言ったことがないことに気づいたことからでした。あとで知ったのですが、がんばれは癌患者にとって禁句で、でも言ってしまいがちな言葉なのだそう。

 

その時始めて夫の優しさがわかりました。きっと癌患者に対しての接し方の本を何冊も読んだのだろうと気づきました。すると見えなかったものが見えてきたのです。

 

夫を見ると自分と同じほど痩せこけていました。思えば理不尽に夫に当たったこともありました。癌患者に対して絶対に言い返せない状況に甘えて、夫に八つ当たりをしていたのだと思います。きっと私以上に辛かったことも沢山あったのだと思います。

 

それでも夫は「大丈夫、死なないから」と笑顔で手を握ってくれました。いつしか辛いことがあったら必ず心の中で繰り返す、とても、とても大切な言葉になっていました。夫には感謝の言葉もありません。

 

癌患者になって一番辛い事は家族の負担になることです。今ははっきり言えます。人間ドックや保険は非常に大切なものです。家族のためにも人間ドックや保険は欠かさずにしましょう。

 

(癌告知後1年と4ヵ月後永眠)

 

胃癌 58歳 男性

私は健康にはかなりの自信があり、健康診断も受ける機会は沢山あったにもかかわらず、行ったことがなかった。腹部のほうに妙な違和感があり、それを職場の同僚に話すと「あなたも年なんだから一度病院で見てもらったほうがいいよ」と言われ、軽い気持ちで病院に向かった。

 

結果は胃癌とのこと。他にも癌が転移して、手術で取ることは出来ないとのことだった。末期癌で余命1年だということを説明され、医者が「余命1年でも長生きしている人はたくさんいますよ」と、励ましてくれたが、だったら逆に半年も持たないこともよくあるんだろうな・・、と思ってしまったことを思い出す。ネガティブな性格が出ているんだろう。

 

私は癌告知者のなかではかなり冷静にいられたほうだと思う。普段からよく死について考えていたこともあったし、ネガティブな性格がいい風に作用したのだと思う。

 

抗ガン剤での治療は拒否し、執行日が訪れるまで気ままに残りの人生を送ることにした。特に心境に変化はないと感じていたのだが、いやはや、カウントダウンは重くのしかかっていたようだ。一番驚いた事は好きなテレビゲームが出来なくなったこと。RPGが好きなのだがキャラクターが死ぬのが恐ろしくて一歩も動けないのだ。

 

死についての哲学書や啓蒙本を読み漁った。書いてあるのは大体同じだった。「残りの人生を大切に生きましょう」だ。でも私はこの考えに納得がいかなかった。それは死という圧倒的恐怖の前でただ、自分を変えてしまっているだけに見えたからだ。

 

自分は愚かだった。タバコも吸ったし、不摂生な食事もした、運動もしなかったし、健康診断にも行かなかった。紛れもなく愚かだ。未来の自分が癌で死ぬとわかっていたのなら、ためらうことなく健康に気を遣って生きていたはずだ。そのことを棚に上げ、「死を見つめることで得られる価値観を大事に」や「優しく生きよう、その日まで」なんて今まで考えたこともない気持ちで一杯になって死のうなんてばかげた話だ。

 

それは本当の自分ではない。死という恐怖の前に急遽作ったハリボテだ。「残りの人生を一生懸命生きよう」なんていう言葉は後悔でいっぱいの自分を覆い隠すように、自分のこれまでの生き方を全否定しているだけではないのか、と思えたのだ。

 

死は怖い、恐ろしいほど怖い。でも私はそれを受け入れようと思う。愚かな自分を呪いながら死ぬこととする。バカな自分を蔑みながら死ぬこととする。それが一番自分らしいと思うからだ。

 

(癌告知後1年と8ヵ月後永眠)

 

脳梗塞 55歳 男性

病気に罹りました。病名は脳梗塞です。晩御飯を食べ終わった後、トイレに行きたくなって立ち上がろうと思った瞬間意識もなく倒れました。家族が近くにいたのが幸しました。医師の懸命な10時間にもわたる手術のおかげで一命を取り留めました。

 

しかし大変なのはこれからでした。脳梗塞の後遺症の中でも代表的な症状らしいのですが、私にも出ました。片麻痺です。私の場合、右手の麻痺、歩行が困難なほど重症でした。一人ではトイレも行けない、オムツを強制されるのは、怒鳴り散らしそうになるほどの屈辱でしたが、現実にそうするほか以外道がないので受け入れざる得ませんでした。

 

さらに辛かったのが言語障害が出たことです。自分はそこまでひどい症状ではなかったものの、言葉が上手く出ない、言語が思い出せない状況があるたび背筋が凍るほどの恐ろしさを感じました。自分自身ではなくなっていく感覚があるのです。

 

そしてその不安は現実となりました。ある日、娘がなんてことなしに「性格変わったよね」と言ったのです。妻がハッとして娘の言葉を遮りましたが、恐怖で頭が真っ白になってしまいました。客観的に見てそうなのか、と涙が止まりませんでした。そして、そのことに気づけない自分自身にも恐怖しました。

 

しかし、だからといってやれる事はありません。せいぜいリハビリぐらいです。この状況を受け入れるほかないのです。今まで家族の中でリーダーの役割を担っていた自分が、今ではトイレに一人で行くこともできず、完全にお荷物になっていました。しかしそれに甘えていくしかない、なんとも情けない状態です。

 

人身事故 35歳 男性

私は車で人身事故を起こしました。バイクと接触。その後、車は壁に激突。相手は脳挫傷により重体。私も下半身不随の大事故でした。法定速度より明らかに出していたスピード、車の方が後ろから衝突したため明らかに私に責任がありました。過失は10対0で私が悪い事故でした。

 

私は自分の体のことよりまず相手のことを心配しました。相手の方は長期の入院と長いリハビリを必要としていました。相手方も私自身が怪我をしていることもあり、そこまでひどく責められる事はありませんでしたが、毎週のように手紙を書き謝罪していました。それでも自分のしてしまったことの重大さで心が張り裂けそうでした。

 

でも、この事故の責任はそんなことで終わる事はありません。現実問題として病院の治療、入院費、慰謝料など、あたりまえですが支払わないといけません。総額でいうと5000万円以上。私の入院費なども1000万程度しました。

 

私は自動車保険に加入していました。事故後は加入していたことをどれだけ安堵したことかわからないくらい助かりました。3歳になる子供とまもなく生まれる子供の事を考えると、仮に自動車保険に入っていなかったら、妻や子供たちに貧しい思いをさせながら何十年も生活しなければならなかったでしょう。

 

相手の方はリハビリの甲斐あり奇跡的に後遺症もなく社会復帰されました。毎年謝罪に行かせてもらっていますが、ありがたいことに笑顔で迎えてもらえます。その帰り道思うのです。もし仮にあの事故で相手の命が失われてしまっていたら・・・。きっとご家族は一生自分のことを恨んで生きてたのだろうと。そう考えると心の底からゾッとします。事故は起こしてからでは遅いです。車を運転することがいかに危険なことか考えてもらえれば幸です。

スポンサードリンク